◎おわりにあたって

 乗鞍コロナ観測所が出来て36年の歳月が過ぎ,今のうちに何とか過去の歴史を纏めておけとは大方の御意見である。戦後の食べるにもこと欠く物のない時代に,同じ鍋釜の底をさらい,テレビやラジオのないほの暗いランプの下で,それぞれの夜なべ仕事に加えて,毎夜誰が唄い出すともなく合唱した先達も既に退官し,私もこの 3月で卒業となった。そして設立当時を知るものとして,一人取り残された負目もある。記録することを最も苦手とする私にとって,砂利の上に正座の思いであるが,思いつくまま頭の隅に残ったものを箇条書きに羅列せざるを得なかったことで,雑文調ではあるが出来るだけ忠実に書き止めたいとそれなりの努力をした心算である。書き出してみると,如何に記憶に残ったことの少ないことかと,今更のようにあきれることでもあるが,不足の分については諸賢の御叱責も止むなしと思う。
 改めて過去を振り返ったとき,不自由な山頂勤務生活の中にあって時に見解の相違による口論もあったが,辛さ苦しみをお互いに慰め励まし合って,男同志が団結して来たことが今日の姿に発展したことで,その根本を流れるものは”和と協力”であったと感ずるものであり,今後もお互いに大事に育て上げて行きたいものと祈念する次第である。
 また常に乗鞍コロナ観測所を取り巻く沢山の人々の厚意に対して心から感謝するとともに,今後とも一層の御支援を下さることを念じて止まない。
 資料の纏め上るのを楽しみにして居られた野附誠夫先生も,この 3月12日に86才で天寿を全うされ,仕上りを見ていただけないのが非常に残念である。 ここに謹んで拙文を捧げたい。
 最後に資料の纏めで,いろいろご協力をいただいた皆さんに深く感謝いたします。
       昭和61年12月
                    文責   森下博三



編集後記

 1986年3月森下氏の停年退官にともない,大方の骨子が出来上がった原稿を引き継ぎました。当初はなるべく早い時期に『乗鞍36年誌』として発行する予定でした。
 しかし東京天文台の改組の問題が具体化され,1988年7月を期して文部省国立大学共同利用機関『国立天文台』として発足することとなり,本稿も東京大学東京天文台としての区切りと,乗鞍コロナ観測所としては『観測所40年誌』として纏めることに改めました。
 編集にあたって原稿を何度か読み返す内に,40年の歴史の積み重ねの中には,試験観測から建設へ,観測機器の充実,環境整備,観測機器の開発,観測方法の改良,エレクトロニクスの導入と言う多様の流れの中に,より質の良いデ-タを得る目的の為の,個々の目に見えぬ努力も行間を通して窺い知る事が出来ました。
 現在の科学の進歩は昔と比べられない程急速になりました。 次の10年間に何が記録され,どんな輝かしい成果で誌面を賑わすかが楽しみです。

 本書を纏めるに当って森下氏を初め多くの方々の御助力を頂きました。
『まだ出来ないのか』と言う御叱責に対するお詫びと共に,御協力を下さった皆様方に厚く御礼申し上げます。  


                        平成 2年 2月
                           深津正英